越境EC現地代理店活動日記

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育った国家体制が個人の感情に与える影響?

2017/02/23

身近な例ばかりであり、統計ではないので全くの体感での話、タイ国王の崩御の一報後一夜明けて病院から王宮へ無言のお戻りがテレビ中継された時の話です。

ちょうど知人から引っ越しの手伝いをしてほしいと言われていたため、会社は午前中で業務終了、荷解きの手伝いとして引越し先へ行ったが手伝いはそっちのけでもうテレビ釘付けでした。国民が喪服で病院から王宮までの沿道を埋めつくし、軍人や警察官が膝付き敬礼でその車を護衛。昭和帝の崩御の記憶とオーバーラップし哀しく寂しい気持ちで見送りました。

知人の引っ越しにはタイ人1名、他私を含めて2-3の外国人が来ていましたが私とタイ人以外はみな陛下のいない国の出身者。固唾を呑んで画面を見守る私に「これ食べろ」とか「テレビばかり見てないで早く手伝え」など言ってきました。早く手伝えはそれは確かにそうですが、私の気持ちは全く受け入れられないのでド無視でテレビに集中。車が王宮の中へ消えて行った時にうっすら涙さえ浮かんだ私をみて「何やってんの?」の質問。

ああ、タイが親日だとか日本人がタイが好きだとか、都市伝説のように言われていることですが、これはもしかしたらこういう気持ちや言葉に出来ない自分のバックボーンが共有出来るから、なのかもしれないなあ、と思いました。

日頃はそんな事はお互い顔にも出さないのですが、非常事態になった時にどういう感情の共有が出来るのか、痛ましい気持ちを言葉でなく慰め合うとはどういうことか、相手の国への尊重とはどういう風に表現されるのか。

陛下のいない国で育つ生きるとはそういう気持ちは分からないのかもしれません。国の指導者がこの世を去ったという悲しみや残念な気持ちと、「この国の父としてこの国をここまで育ててくれた人」というのはきっと大いに違うだろうし、国の父を亡くした気持ちは国の父がいないとわからないものでしょう。

責めたり「だからあの人たちは」という気はなく、ただ、外国にいながら自分の根源や気持ちを共有する人たちそして共有出来ない人たちとの差、と言うものを改めて感じた出来事だったような気がします。

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